第25回
「支える」という点で、子育てと介護はよく似ています。人の一生を親として家族としてどう支えていくか、考えてみましょう。
荒木 重嗣(あらき しげつぐ)先生
新潟青陵大学短期大学部人間総合学科教授

人の一生は放たれた弓矢 どう飛んでいくかは子どもしだい
 私の経験からお話しすると、自分の親が認知症となった最初のころは、しだいに壊れてしまうのではないかというマイナスのイメージを持っていました。それは、子どもを育てるときの最初の戸惑いによく似ていました。大切にしたいという気持ちが募れば募るほど、つい世話をしすぎてしまうという点も、子育てと介護はよく似ていると気づきました。
 詩人カリール・ジブランの『預言者』に、子どもについての詩があり、「あなたの子は、あなたの子ではありません」というフレーズに、私ははっとさせられました。その詩は、「あなたは弓です。その弓から、子は生きた矢となって放たれて行きます」と続きます。愛情を注ぐのはいいけれど、子どもは人格を持つ一人の人間として独立していきます。的(まと)に向かって放たれるそのときに、しっかりと支えるのが私たち親の役割ではないでしょうか。そして矢のように、子どもたちは一人ひとりが違う的(まと)に向かっていくのであって、親がレールを敷きすべてを導いていくことはできないのです。
 お子さんに対して、思いをかけすぎてはいないでしょうか?なるべく高い的をねらってほしいとか、難しい的をねらってほしいとむりやり矢を放つと、それは方向を誤ってしまうかもしれません。最近の子どもたちを見ていると、よい子でなんの問題もないと言われていても、要求されていることや環境にフィットしていないことに子ども自身が気づいていない、また我慢していることが多いようです。フィットしていないことに気づき、それを表現できるようになるためにも、小さいころにたまに規範をはずしてあげてほしい。冒険をさせてみるのも楽しいですし、何より親たちが自ら規範をはずし、人生を楽しむことが大切だと思います。

矢は最終的に降下し落ちていく 老いをしっかりと支えることも大切
 私たちは、放たれた矢が一番高く弧を描くところが人生の目的だと思いがちですが、実はそうではなくて、降下し落ちる地点だと、介護を続けているうちに考えるようになりました。その人の最期に家族が的となってつきあえるのが、理想的な形ではないでしょうか。 また、高齢になって体が動かなくなったり病気になったりすると、家族や周囲に迷惑をかけてはいけない、迷惑をかけて悪いなという気持ちになるものです。でも人生において、それはあたりまえのこと。「迷惑をかけてもいいのだ」と思えるように支えていきたいですね。私たちの親世代は、その親の寿命がそれほど長くなかっただけに見本がなく、初めて高齢という壁にぶち当たっていくと考えられます。老いるということは、積み重ねてきたものを少しずつ失っていくものだということを、歳を重ねながら学んでいくことも必要かもしれません。
 放たれた子どもたちを支え見届けるのと同じように、親を見届けるのが、まんなかにいる我々の世代ではないでしょうか。私たちは、運動会の大玉送りみたいな人生の仕事を抱えているのです。
※カリール・ジブラン『預言者』(佐久間彪訳、至光社、1994年)


■人の一生は弓矢と同じ。子どもは自分が目指す的に向かって自由に飛んでいくもの。
■人生の終着点は一番高いところではなく、老いという降下し落ちていくところ。
■老いるということは、一つ一つを失うこと。迷惑をかけるのは、いけないことではない。
■矢が放たれるときを支え、降下していくところを支えるのが親であり、家族。



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