特集|伝える(2)


自分が好きな靴下だけを作って、駄目になるならそれでもいい
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靴下製造
上林希久子
さん

かんばやし きくこ/昭和35年11月14日、東京生まれ。12歳で両親の出身地である新潟に引っ越す。加茂暁星高校、商業短期大学を卒業後、靴下の企画販売会社を経営。平成5年に両親から上林繊維を引き継ぐ。平成8年靴下協会靴下求評展センイジャーナル社長賞、平成14年新潟県民夢大賞受賞。社長である夫の裕さん、3人の子どもと暮らす。

上林繊維
TEL.0256-57-3324
http://www.kambayashiseni.jp/com.html
「小さいころから工場に入り、機械の操作は見て覚えました。色の特徴や編んだときの風合いは人に教えられるものじゃないですね」 写真
 新潟大和で10月に開催されていた「わがむらわがまち自慢の逸品まつり」で見かけた小さなブースには、はき心地のよさそうな色とりどりの靴下が並べられていた。「はき口に手を入れてみてください。気持ちいいでしょ。ゴムの締め付けがないのにずり落ちないし、脱いだりはいたりを繰り返しても伸びません」と商品説明をしていたのが、上林繊維専務取締役の上林希久子さんだ。
 三条市出身の父と田上町出身の母が経営する靴下工場は東京の板橋区にあり、後に田上町の母の里へ転居して現在の場所に工場を構えた。「お父さんは腕のいい職人でお母さんはリンキング(裁縫)のプロ。機械の音が子守唄でしたね。私が中学3年生か高校1年生のころ、お母さんはスーパーの店頭で靴下を売っていたんですが、そのときにお客さんから言われる『ゴムの跡がつかない靴下はない?』などの声を持ち帰ってくるんです。それをお父さんが作る。そんな家で育ちました」
13年前、売り上げの大半を占める会社が倒産、さらに両親が相次いで倒れ、会社の経営は大きな借金ごと上林さんと夫の裕さんに引き継がれた。「やめるのは簡単だけど相手の借金をかぶって引き下がるのはしゃくに触る」と、両親の介護、3人の子育てをしながら継続した。
 「以降は大手からの受注が大半。でも、どの業者さんも『いい靴下を作ってくれ』とは言わないんですね。気持ちよくはけない靴下を作っているという思いがぬぐいきれませんでした」。平成8年に、靴下協会靴下求評展に出品した靴下がセンイジャーナル社長賞を受賞した。「表と裏に違う色の糸を使うという、業界ではタブーとされる手法で作ったんです。これが20万足のヒット商品になり、自信がつきましたね」。編み、縫製、プレスまで全部の工程を持つメーカーだから色によって変わる糸の特色や組み合わせの妙もわかる。本当にいい靴下だけを作ろうという思いで業態を一新したのは3年ほど前だ。
 上林さんの靴下は、財団法人ニューにいがた振興機構の県産品に指定された。編み方の工夫と糸の入れ方で靴下が伸び縮みし、ゴムを入れなくてもずり落ちず血流が止まらない、体に優しい靴下だ。「靴下にははいていい靴下、見た目がいい靴下、業界にとっていい靴下の3種類があると思う。うちはこれからもずっと、はいていい靴下だけを作ります」


創業は昭和12年。「長男は家を継ぐのが当たり前だと思っていました」
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桐たんす職人
桑原 隆
さん

くわばら たかし/昭和43年1月27日、加茂市生まれ。新津工業高校電子科を卒業後、祖父の遺言により和歌山の桐たんす店で修業を積む。2年間でノウハウを習得し新潟へ戻り、現在は有限会社桐の蔵社長。伝統的な桐たんす、モダンな桐チェスト、再生たんすの3本柱で事業を展開。家族は妻、子ども4人

桐の蔵ショールーム
南蒲原郡田上町大字田上丙829−1
TEL.0256-57-4337
http://www.1kirizo.com/index.htm

桐たんすの仕上げ、引き出し部分の調整。しゃーっという音とともに、ごく薄い木片がかんなから流れるように出てくる。



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写真  知人宅ですてきな桐たんすを見せてもらった。伝統的な技を用いながら、現代のインテリアに寄り添うデザインは、田上町の桐たんすメーカーにオーダーしたのだという。
 このたんすを作ったのは「工場は遊び場、職人さんに遊んでもらって大きくなりました」と語る桑原隆さん。昭和12年創業の桐の蔵3代目社長である。高校卒業と同時に和歌山県のたんすメーカーで修業を積んだ。「実家の職人さんにいろいろ教えてもらっていたので、修業は厳しかったけど技術的な苦労はありませんでした。むしろ帰ってきてからのほうが大変」
 一さおの桐たんすには200以上の工程がある。組み立て、塗装、仕上げ、金具……。3代目のプレッシャーもあり、職人さんの仕事を盗み見て覚え、みんなが帰った後の工場でひたすら練習した。「一人前になるのに10年はかかるといいますが、知識も技術も目配りも祖父や父には及びません。18年目の今でもまだまだ中途半端ですよ」と謙遜(けんそん)する。
 4年ほど前に古いたんすの修理を始めた。「桐たんすは再生できますといって売るのに、修理を外注に丸投げする現状はおかしいですよね。周囲の反対は大きかったけれど、再生たんすをやりますと声を上げたら全国から昔のたんすを持ってくるお客さんがたくさんいて、百貨店経由ではないお客さんとの新しい関係ができました」。同じころ、デザインを学んだ弟の鈴木進さんと新しいものづくりをしようとはじめたのが桐チェスト。さらには古い桐たんすの味のある色を生かした「温故創新シリーズ」を展開している。
 「伝統的な桐たんす、モダンな桐チェスト、そして再生たんすの三本柱はとてもバランスがいい。これからは海外向けのHPなどで日本の伝統的な文化や技術を紹介していきたいですね」


日本伝統の技術を受け継ぎ新分野にも挑戦
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建具・組み子職人
猪俣一博
さん

いのまた かずひろ/昭和42年11月9日生まれ。上越市出身。高田工業高校建築科卒業後、職業訓練校木工科に入学。卒業後、東京の建具店に就職。3年後に帰郷し家業を継ぐ。父、母、妻、小4の長男の5人家族。

猪俣美術建具店
TEL.025-523-6760
http://www.latticeart.jp/
写真 障子の格子の部分を、細かく高度な技術で組み上げていったものが組み子。細密な作業に日本人の繊細な美意識が感じられる
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 日本の建具を作る技術は世界に誇れる高度なもの。その中でも特に精度と緻密(ちみつ)さが要求される組み子の技を受け継ぐのが、上越市高土町の猪俣美術建具店2代目の猪俣一博さん。数々の受賞歴を持つ父の仕事を見ながら、木の香漂う工房で育った。「後を継ぐことに対してあまり抵抗はありませんでした。遊びに来た友達に『木のにおいがする』と言われても、これが家では当たり前でしたし」
 工業高校の建築科を卒業後、職業訓練校の木工科で1年基礎を学ぶ。その後縁あって東京の建具店で3年を過ごした。「東京では機械化されていない手加工のよさを学びました。その後帰郷し、有名旅館の難しい仕事に携わったことで、建具に対して今までより幅広い視野を持てるようになったのが大きな成果です」。組み子は父のそばで見て覚えた。職人の世界の常で手取り足取りとはいかず、まずはまねから始めた。
 ホームページで紹介されている函館や松本、群馬の旅館に納められた作品の数々は、どれも曲線を駆使した職人泣かせの仕事。しかしそのかいあって作品を見た人からの注文も多く、人から人へ、仕事が仕事を呼ぶといううれしい流れができてきた。「どうしても建具店は下請けになりがちですが、これからは自発的に仕事を発信していきたい。今は建具にもデザイン的要素が重要な時代なので研修などで感覚を磨いています。主張しつつ目立たせない、そのバランスがこの仕事の面白さでありやりがいでもあります」
 また上越市の木工、建具職人による協同組合「ウッドワーク」理事でもあり、杉間伐材利用による家具作りにも加わっている。「家の印象を決めるのは建具と家具。トータルでデザインしてやってみたいですね」


蔵独自のこだわりの味を守りながら、日々前進
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みそ製造
西澤福博
さん

にしざわ ふくひろ/昭和34年10月生まれ。上越市出身。東京農業大学醸造学科卒業。妻、中1の長女との3人家族。

西澤商店
上越市西本町1丁目16−16
TEL.025-543-2400
http://www.392430.com/sub/mm.htm
 上越市西本町1で、みそ・しょうゆの製造販売と地酒販売を営む西澤商店の3代目が西澤福博さん。祖父と父が試行錯誤しながら築き上げてきた技術を、今も大切に守っている後継ぎだ。
 先々代と先代が、昭和28年ごろから始めたしょうゆ製造。その後軌道に乗り、昭和36年からは市内木田の蔵でみそ、酢の製造も開始した。根っからの職人である父の姿を見て育った福博さんは「この環境の中でなんとなく自然に、自分が後を継ぐんだろうなと思っていました。だから大学も醸造学科に進みました」。
 父の宏一さんは「本当は大学卒業後、ほかの蔵で少し修業をするとよかったんだけど。早く帰ってきて欲しくてね」。大学卒業後、父と一緒に作業しながら仕事を覚えたが、大学で学んだ理論との違いもあり苦労も多かったという。「みそのうまさの半分をしめるのが『麹(こうじ)』。どの蔵も独自の方法を持っています。うちの麹作りのこだわりと、いい原料を選ぶ職人の技は守っていかなければと思います」
 食生活の変化などから近年需要が減っているみそ。そこで家族で作る小さな蔵だからこそできる昔ながらの丁寧な作りと、アイデアマンである父の発想で次々に新商品の開発にも取り組んでいる。地酒の販売にも力を注ぎ、勉強会にも積極的に参加。ホームページを2年ほど前から立ち上げ、福博さんとともに妻の和子さんもブログで情報発信中だ。「ありがたいことに、ネットでの注文がかなり売り上げに貢献してくれています。また遠方からのリピーターも増えてきました。これからも品質を大切にしつつ、絶えず勉強して時代の流れを見据えていく姿勢を続けていきたいですね」
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写真 門外不出の方法での麹作りは「蔵のポリシー」。妥協をせずによい原料を使うこともおいしさの秘訣(ひけつ)、と語る父の宏一さんと福博さん


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