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↑鍋茶屋のなまこ壁を小路からのぞいたもの。昼の古町は夜のにぎやかさが嘘のように静かだ。右は鍋茶屋の門の前でたたずむ芸妓さんたち。左より美月さん、あやめさん、春花さん
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2004にいがた夏 食の陣
「芸妓の舞コース」では、優美で華やかな舞とかっぽうの美味を堪能できる。今後の開催日程、料金など詳しくは鍋茶屋、行形亭、有明、一〆、きらく、大善の各料亭にお問い合わせを。

第16回 ふるまち新潟をどり
古町芸妓が総出演、華やかに柳都新潟の舞を繰り広げる。
会場/りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館 劇場
開演/9月18日(土) 1回目12:00(開場11:30) 2回目15:30(開場15:00)
観覧料/S席4,000円、A席2,500円 全席指定
ご予約・お問い合わせ/りゅーとぴあチケット専用ダイヤル TEL.025(224)5521
受け継がれる踊りのパッション
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 江戸時代の新潟には、三日三晩踊り明かす盆踊りがあった。樽砧(たるきぬた)の調子に合わせて踊るさまはすさまじく、「風紀を乱す」との理由で明治政府から禁止令が出たほどの狂瀾怒涛(きょうらんどとう)の祭りだったといわれる。
 新潟には数多くの民謡があるが、港町の面影を色濃く残すのは「新潟船方節」だろう。島根県出雲で生まれた出雲節が船乗りによって伝えられたとされ、「入船したなら教えておくれ」から始まり「便り渚の身は捨て小船 お主の無事を祈るゆえ……」と続く歌詞は新潟の花柳界に定着、出港前や出港後の宴席では必ず歌われたという。

堀と橋、水辺の町
 新潟はかつて堀と橋の町だった。旧新潟町が現在の市街地に移転した1650年代半ばころから堀が作られ、寺町堀(西堀)・片原堀(東堀)が川に並行して通り、2本を結んで東西に白山堀・新津屋小路堀・広小路堀・御祭堀(五菜堀)が、少し遅れて新堀が掘られた。明治8(1875)年の記録によると、当時の新潟町の堀は27本延べ約12キロもあり、堀に架かる橋は明治16(1883)年で133本あった。
 しかし鉄道や自動車の普及、上水道の整備で堀の役割は徐々に失われ、堀は次々に埋め立てられることに。昭和39(1964)年、新潟の街から堀の姿は消えた。
 近年になって、西堀、東堀など道路名に名をとどめるだけの堀を再生させようと、市民グループが動き出す。平成12年3月にスタートした「堀割再生物語プロジェクト実行委員会」の会長・川上伸一さんは「発足から4年、シンポジウムや市民講座、ワークショップを重ねる中で、ノスタルジーだけで堀を再生したいという人が課題の大きさに気付いたり、逆に反対していた人が問題点をクリアできるなら再生に意義があるのではと、具体的で前向きになったりと、さまざまな動きがありました。実行委員会ではこのほど掘割の存在意義を環境・交通・産業・教育・文化の5つの視点から考えた『新しい堀プラン』をまとめました。広くご意見をいただき、市民の皆さまとともに語り合いたいと思います」と語っている。
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堀割再生物語プロジェクト実行委員会が考え、街角絵師・長谷川久彦さんが描いた「堀が再生した場合の新潟の風景」
 昭和34年生まれの川上さんは古町通9番町の「港すし」代表取締役である。川上さんが育った古町は「昼間は八百屋や肉屋、おもちゃ屋、本屋が並ぶ普通の街でしたよ。夜になると大人の街、歩いて絵になる街でした。私が20代後半のころ、鍋茶屋さんの隣にあった、私がお邪魔したことがある待合の玉屋さんは実に趣があり、その風情は忘れられません」とのことだ。
 かつて新潟のシンボルは、堀と橋と柳が織り成す風景にたたずむ美しい芸妓さんだった。デパートでの買い物や外食、映画を見た思い出など、誰の胸にも古町への思いがあるだろう。歴史の町、伝統の町に安住せず常に動いている街から、ふるまちルネサンスのカウントダウンが始まろうとしている。

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