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風格と気品を感じさせる鍋茶屋の外観(右上)。下は鍋茶屋6代目おかみ・高橋すみさん |
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いつもの風景を歴史のフィルターを通して眺めてみると、 思いがけない表情に出合うことがある。 新潟きっての繁華街・古町を再発見する小さな旅に出掛けよう。 ふるまちルネサンスがいま始まる。 |
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料亭・かっぽうの街、古町 人がすれ違うのがやっとの細い小路。日陰では猫がまどろみ、植木鉢からは朝顔のつるが天を目指す。遠くに三味線の音が流れ、浴衣姿の芸妓(げいぎ)さんが窓から顔をのぞかせる。昼下がりの古町料亭街はとても静かだ。 古町は京都・祇園と並び称される全国屈指の繁華街。江戸時代に発祥した古町花柳界は大正〜昭和初期に最盛期を迎え、古町芸妓の数は300人を超えた。名立たる料亭、かっぽうが軒を連ね、古町情緒を醸し出している。まずは鍋茶屋の門をくぐろう。 江戸末期の弘化3(1846)年に営業を始めた鍋茶屋は、150年余にわたり伝統の味と風格を守ってきた老舗だ。木造3階建てを含む建物全体は文化庁の登録文化財に指定されている。6代目おかみの高橋すみさんは、昭和43年5月に京都・祇園のお茶屋から嫁いできた。「そのころはお客さまをお送りするときに通りへ出ると、向こうが見えないほどの人波がありました。当時は芸妓さんが140人ほど。お客さまと芸妓さんとは宴席だけではなく、お盆やお正月にお客さまの家でお手伝いされたり、奥さまがたとも親しくされていたりと、今でも芸妓さんの地位が高いような気がします。大事にされているのですね」と語る。 現在の鍋茶屋は?「女性同士のご利用が増えました。芸妓さんの踊りをご覧になり、お食事やお酒を楽しむ。時には小学生がグループ研究で見学に来たり、中学生が伝統芸能の学習に来たり。料亭にとどまらず歴史ある空間として利用していただきたいと思っています」と穏やかな表情で語る。 花柳界今昔 古町花柳界の名声を料亭・かっぽうとともに支えてきたのは、質の高い芸で知られる古町芸妓だ。ベテラン芸妓の早苗さん、秀千代さんは幼なじみ。大畑小学校に通いながら踊りや長唄、三味線などのけいこを積み、15歳でこの世界に入った。そのころ220人いた芸妓は今30人に。「置き屋が減り、料亭も3分の1になりましたからね。おけいこしても芸妓にはならない子が増えました。それでも私たちには新潟の風情を守り粋を伝えたい思いがあります」(早苗さん)。「芸妓には見えも大事。昔は、普段からいい着物を着て新幹線はグリーン車。米がいくら、野菜がいくらなんて言ってはいけなかったんです」(秀千代さん)。いつも美しく華やかに、しかし芸ごとには厳しく。古町芸妓のプロ意識を感じた。 昭和63年には市内の有力企業や金融機関、新潟商工会議所などが出資して、芸妓の養成と派遣を行う柳都振興株式会社が発足した。置き屋の株式会社化は全国初。現在は留め袖さん3人と振り袖さん4人が社員として働いている。世話役は7人の柳都さんたちから「おかあさん」と呼ばれている同社支配人の田中喜美さんだ。「芸ごとには全くの白紙で入ってきた子どもたちをおねえさんがたがかわいがってくださり、自治体や企業さんからはイベントに出演する機会を設けていただくなどで、16年間続けることができました。時代は変わっても古町芸妓のよさに代わりはありません」と、子どもたちのあでやかな姿に目を細める。 柳都振興がある新潟市西堀通・三業会館2階では、夕方になると柳都さんたちがお座敷を控え支度に余念がない。「おけいこは月に8回、覚えることがいっぱいですが頑張っています」と語るのは、この4月に“入社”したばかりの春花(はるか)さん。すそを引く留め袖にお太鼓結び、島田姿あやめさん、矢の字に結んだ帯に桃割れがかれんな美月さん、春花さんが通りに出ると、道行く人がまぶしそうな目を向ける。柳都さんたちはきょうも、おねえさんがたの芸とプロ意識を間近で学びながらけいこに励んでいる。柳都さんはただいま求人中。興味のある方はぜひお問い合わせを。 |
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