子どもの目はシビア。
つまんないと絶対笑ってくれません。

 高校3年生の時に、ずっと保育士として働いてきた母が体調を崩してしまい仕事をやめざるを得なくなってしまった。そんな母を見て自分がその意思を引き継ぎたい、と自らも同じ道をめざすことに。だが専門学校在学中、幼稚園教諭の資格に必要な単位を落としてしまう。あきらめようと思いかけたころ、友人に誘われNAMARAのライブを見た。衝撃をうけた。友人たちの前でちょっとしたギャグが受けて笑いが取れたときの快感がよみがえる。自分の居場所はもしかしたら、お笑いにあるのでは、とNAMARAの門をたたく。卒業も近い冬のことだった。
 朝7時半から9時までは新潟市内の保育園で早朝パート勤務。それが終わると、お笑い集団「NAMARA」所属の芸人として夜遅くまで動き回る毎日だ。子どもたちからもらう元気や笑顔はそのまま芸人としてのパワーの源となる。今度は自分が舞台からみんなに返してあげたい──その思いは今日も金子さんを奮い立たせる。

120カ所以上を訪問
 それでも子どもとかかわっていきたいという思いは強く、1998年4月、保育士として働き始める。一方では、同じくNAMARAのメンバーだった中村博和(23)さんとお笑いコンビ「きぬがさ」を結成し、お笑い活動も続けることに。「保育士お笑い芸人」としての生活がスタートした。
 園児と毎日接するなかで、分かったことがある。何でもいい、子供はきっかけひとつでぐんぐん成長するものだと。「もしかしたら、お笑いがその子を変えるきっかけになるかも‥‥」。「『きぬがさ』のチャイルドエンターテインメント、子どもたちに笑いを」と銘打って、県内各地の幼稚園や保育園を巡業する「出張紙芝居ツアー」を始めたのは、そんな思いが頭から離れなかったからだ。1枚書き上げるのに8時間はかかるという手作りの紙芝居を使って、クイズや物語を次々と展開する。ほか、体操あり、新潟弁を使った“英会話”ありの「全身を使う」ことを意識した約30分間のショーだ。「子どもって一つ一つが長いと飽きてしまうんです。つまらないと絶対に笑ってくれませんし。だからまず自分が楽しまないと。自分がバカになることで子どもたちを引き込み、いかにして笑いを持続させるか。それが僕のテーマです」
 昨年の5月からツアーを開始して、これまでに県内120カ所以上の施設を回った。「イベントがあればどこへでも行きますしライブもやります。でも、僕のホームグラウンドは『子どものいる場所』。『また来てね』と言われるのが何よりうれしい」
 ショーの最後は拍子木で一本締め。「みんなが元気でしあわせでいられますように…!」。舞台と客席がひとつになった。

保育園の子どもたちと思いっきり遊ぶ。“お兄さん先生”は子どもたちに大人気

新潟市内の保育園、敬老会で公演。園長さんと雑談 NAMARA事務所で雑務をこなす

公演で使用する小道具。紙芝居の作品は全部で5作。ストーリーから絵まですべて1人で製作する。「もともとが不器用なので」1枚書き上げるのに約8時間、地味な手作業は深夜までにおよぶ。題材は勤務中に目にする園児のふとした行動から思いつくことも。それ故エプロンの中にはメモ帳と鉛筆が欠かせない。保育士ならではのアイデアで子どもたちを笑いの世界へいざなう。

高校を卒業後、長岡市の北陸福祉保育専門学校へ進学。2年生の冬に新潟を拠点とするお笑い集団「NAMARA」のメンバーとなる。以来、現在にいたるまで常に保育士の仕事に携わりながら、お笑いコンビ「きぬがさ」としても活動を続ける。新潟市内で1人暮らし。1977年生まれ。中条町出身。

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