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新潟県は言わずと知れた米どころ。 その米王国を支えてきたのは「コシヒカリ」だろう。 全国1の産地を背負って立つトップブランドは どうやって世に出たのか。ポスト「コシヒカリ」への 期待を負って登場したニューフェース「こしいぶき」も 少しずつ市場に浸透している。 新旧二大品種の誕生秘話を探った。 |
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お米の王様、コシヒカリ コシヒカリの開発に大きく貢献されたという國武正彦さんに誕生秘話をうかがった。長岡市在住の國武さんは新潟県農業試験場(現在は新潟県農業総合研究所作物研究センター)の元場長、現在は県の「地域興しマイスター」として水稲分野を専門に活躍されている。 |
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新潟県の米事情 おいしいお米の代表格、コシヒカリ。新潟県内の作付面積の約8割、全国でもおよそ3分の1を占めているという、まさに日本一のお米だ。販売シェアでも20年間トップを走り続けている。 「新潟は今でこそ米王国のように言われていますが、古くは暗い時代が続いていました。豪雪や水害という悪条件が重なり、稲作には不向きな地域と誰もが思っていたのです。面積だけはあるが不安定な県でした。ところが、1931年に早生(わせ)で味の良い農林1号が生まれました。それが新潟でもおいしい米が作れることの証しとなり、市場の期待とともに県人に大きな希望を与えたのです」 |
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コシヒカリ誕生 コシヒカリは1944年に新潟県農事試験場で人工交配され、48年から福井県農業試験場に移って固定された系統で、「越南17号」と呼ばれていた。しかし、味は良いものの倒れやすくいもち病に弱いという欠点があったため、どの県も見向きもしない品種だったという。 そんな越南17号に注目したのが、当時新潟県農業試験場長の杉谷文之さん、作物第一研究室長の橋本良材さんをはじめとした新潟県農業試験場の職員たちだった。県産のおいしい米を開発したいと願っていた彼らは、周りでは評価の低かった越南17号に望みをかけた。 開発が進むなか、1955年には橋本さんが異動。その後、コシヒカリ開発の中心人物となったのが、前出の國武さんだ。 |
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欠点を乗り越える 「越南17号」が「コシヒカリ」と命名され、県奨励品種となったのは1956年のこと。「当初は欠点ばかりが目立っていたようですが、短所があれば長所もある。『芽が出にくいので育苗が大変』という短所は、『収穫時期に倒れても穂発芽せず、また梅雨越しでも味が落ちない』という長所に置き換えられます。また、『背丈が高く倒れやすい』品種ではありましたが、『根が強く茎がしっかりしている』という良い面を持っていました。どんなものにも短所はあるのだから、それは栽培技術でカバーすればよい。杉谷さんも私も、そういった考え方を持っていました」 |
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長雨が生み出したもの コシヒカリの普及に関して試験場内での反対はなかったが、農業団体などからは扱いにくい品種だと非難ごうごうだったという。そんな逆風を一気に吹き飛ばしたのが、1958年の長雨だった。 「県内19万7000ヘクタールの水田のうち、長雨で16万ヘクタールの稲が倒れてしまいました。倒れた他品種の稲が次々と芽を出すなかで、コシヒカリだけは芽吹かなかった。倒れても傷まない、芽吹かない。この長雨のおかげで、コシヒカリの将来性に明るい兆しが見えてきました」 |
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トップの座を得るために その後のコシヒカリの歩みも、決して順風満帆ではなかった。度重なる問題点の克服に、國武さん達は心血を注いだ。倒伏の防止、いもち病対策、栽培・採種技術の向上、そして稲作の機械化。 「1974年から1982年にかけて良質米生産の機械化栽培技術が飛躍的に進歩しました。そのおかげで生産効率も上がり、それが若手生産者のやる気を引き出してくれたのです。良い米というと単なる品種の良さだと思われがちですが、決してそれだけではない。良い米を作るための栽培技術の高さこそが重要なのです。技術開発にポイントを置いたからこそ、コシヒカリは成功したと言っても過言ではないでしょう」 当時の國武さんの上司、杉谷さんの言葉に「栽培法でカバーできる欠陥は致命的欠陥にあらず」という名言がある。既存の枠にとらわれない彼らの前向きな発想が、誰も見向きもしなかった品種をコシヒカリという一大ブランドにまで成長させたのだ。 |
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新世紀のお米、こしいぶき コシヒカリに並ぶ新潟米の二本柱として期待の新品種「こしいぶき」が、昨年秋に本格デビューした。その開発のプロジェクトリーダーを務めたのが、新潟県農業総合研究所作物研究センター育種科長の星豊一さん。こしいぶき開発についてお話をうかがった。 |
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なぜ新品種か コシヒカリのブランド力は、今や他の追随を許さないほど巨大となった。しかし、需要がどんどん高まるにつれ、新たな問題が浮かび上がってくる。 「現在では県内の水田の8割がコシヒカリを作っている状態。作付けが同じ品種に集中してしまうことで、たくさんの問題が生じます。刈り取りの時期が重なることで作業効率が悪くなる。作業が遅れれば品質が低下する。また、自然災害や病害虫の被害を受けやすいおいしいコシヒカリを守り続けるためにも、早い時期に収穫できて味の良い米を開発する必要があったのです」 |
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石垣島での研究開発 1993年に6人の研究員からなる育種プロジェクトチームが結成された。「当初は10カ年計画でスタートしました。ところが21世紀の始まりに誕生させたいとの思いから、翌年に開発期間を変更。8年に短縮されました。コシヒカリの開発にも12〜13年の歳月を費やしていますから、これは大変なことでした」 短い時間での開発を成功させるため、星さんたちが世代促進に選んだ土地は石垣島。1年に2回栽培できるという利点があった。石垣島と長岡市を何度も行き来しながら、開発を進めていった。 |
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おいしい米を求めて 当時を振り返り星さんは話す。 「スタート時点では、どういう結果になるのか予想もつきませんでした。でも、今まで通りのやり方では同じ結果しか生まれてこない。自分たちは既成の方法にとらわれずにやってみよう。そんな思いで取り組みました」 こしいぶき開発の大きな特徴として、食味の重視があげられる。「作りやすい米」を開発するより、「おいしい米」を作ることに重点を置いた。 「私たちは、稲を食べるのではなく米を食べるのですから(笑)。とにかく、おいしい米を作ることに力を注ぎました」 |
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独自の方法を生み出す おいしい品種が残るよう、まずは選抜の母集団を広げた。800通りもの交配、そこから生まれた約100万種のなかから選抜するという、まるで宝探しのような作業だ。 少量の米の食味を機械で測る方法を見つけ出し、味の良い米だけを残していく。50台もの炊飯器を並べ、実際に食べておいしいものだけを選んでいく。ほかでは誰もやっていなかった独自の方法を生み出した。 もちろん味だけではない。温暖化が進むであろうことを予測して、水田に35℃のお湯を入れた。厳しい気象条件でも生き残っていく品種を見極めるためだ。 |
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次世代を担う新品種 そして最終的に選ばれたのが、コシヒカリを母に持つひとめぼれと、どまんなかをかけ合わせた「こしいぶき」。昨年の販売開始以来、「コシヒカリと変わらないおいしさ」「粘りが強く粒がしっかりしている」と、評判も上々。まだ食べたことがないという人は、ぜひ1度お試しあれ。その名の通り21世紀の新しい息吹が感じられる次世代のお米だ。 |
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おいしいお米ができる重要な条件が、気温の日較差(昼の最高気温と夜間の最高気温の差)。昼の光合成で作られたでんぷんは夜間、穂に蓄えられる。夜の気温が高いと蓄えたでんぷんを消費するので稲の登熟期には、昼夜の温度差があることが重要だ。そのため、熱帯夜が続く猛暑が予想される年には、登熟期をずらすために田植えの時期を遅らせることもある。まもなく新米の季節。作り手が大切に作ったお米を、じっくり味わいたい。 |
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